災間の時代に被災者に「なる」こと
山﨑真帆
(東北文化学園大学現代社会学部)
「俺たちの住む〇〇市はB級被災地だから」。私がこの自虐的なつぶやきを耳にしたのは、東日本大震災発災後、宮城県内のある内陸自治体においてでした。この自治体は甚大な地震被害を受けたにもかかわらず、発災後すぐに津波被災自治体を支援する組織の前線基地となり、また、その後も数年間にわたって、沿岸部から大勢の避難者を受け入れました。「被災地」というよりもむしろ、支援側として立ち回ったと言えるでしょう。一方で自宅が地震で全壊したある住民によれば、「津波よりいいだろう」ということで、「市内の被災者の声っていうのは、出せるような雰囲気じゃなかった」そうです。こうした住民のつぶやきには、上記のような文脈のなかで抱かれた、複雑な感情がにじんでいます。ちなみに、「B級被災地」という表現は、茨城県の被災者からも聞かれたといいます(宮地 2011: 51)。「被災地・被災者」というレッテルに苦しむ地域・人々がいる一方で、「被災地・被災者」として立ち回れずに辛い思いをする地域・人々もまた、存在していたのです。
こうしたつぶやきがきっかけとなり、筆者は被災と非被災の「あわい」にあり、被災地・被災者なのかそうではないのか、どっちつかずの地域・人々に目を向け、ある特定の地域や人々が被災地・被災者に「なる」とはいったいどのようなことなのか、考えるようになりました。
筆者の専門である文化人類学の考え方を意識しながら、被災地・被災者に「なる」ことを腑分けしてみると、①災害により何らかの被害・影響を受ける(つまり、いわゆる被災)、②社会的な制度、認知により被災地・被災者として峻別される、③特定の時空間、文脈(①+②+他者とのかかわり)において地域・人びとが被災地・被災者という役割を(思わず)引き受ける、という3つの段階に大別できそうです。先の内陸自治体は、②の社会的な認知が得られず、「B級被災地」というあいまいな状態に留め置かれてしまったと考えられます。
本ホームページ2022年11月1日のコラム「災間の災害復興の課題と可能性」をご一読いただければと思いますが、現代は災害と災害との「間」(なか)を生きる時代、つまり災害が頻発し、短期間のうちに何度も被災するような災間の時代です。誰もが被災者に「なりうる」(=被災する、①の意味)一方で、災害が日常化し、②の意味においては 「なりにくい」 時代であるといえます。今後生じる/今まさに生じている災害からの「被災者主体の復興」を目指すにあたっては、被災者に「なる」ことを改めて問うことも重要ではないでしょうか。
本文中に登場する内陸自治体に設置された大規模仮設住宅団地で撮影した一枚(2014年12月に筆者が撮影)。早朝のラジオ体操に飛び入り参加したときのもの。この自治体では、「みなし仮設」制度などで地震被害を受けた市民に対応したため、市内に建設された仮設住宅はすべて、市外からの避難者向けのものでした。
〈参考文献〉
宮地尚子,2011,『震災トラウマと復興ストレス (岩波ブックレット No. 85)』岩波書店.