関係人口の心の渦
五味壮平(岩手大学人文社会科学部教授)
2012年の年明け頃から東日本大震災で被災した陸前高田市に通っている。
震災前には、盛岡市の地域SNSの運用、また大学内SNSの運用等、コミュニケーションの場づくり、コミュニティづくりに取り組んでいた。地域と学生たちをつなぐプロジェクトにも携わり始めていた。そんなさなかに震災が起きた。地域SNS連携による物資支援プロジェクトのとりまとめ役を務め、それがきっかけとなり「震災」と向き合うことになった。10年たった。
学生たちと陸前高田に通い始めた頃は、とにかく手探りであった。何ができるか、何をすべきか。災害・防災に関する知識も、復興に関する知識や経験も、いやそれどころか三陸沿岸部に関する人脈や土地勘すら持ちあわせておらず、豊富とは言えない自分の経験だけを頼りにうろうろする、きわめて危うい存在であった。
圧倒的な状況の前に、我々にできることはたいして多くはなかった。学生たちは当初、情報を発信し、このまちの魅力を伝えたいといった。自分も一緒になって活動を始めた。そのこと自体にどれだけの意味があったか。ただ、少なくとも情報収集の過程で、たくさんの人と出会わせていただき、数多くの話を聞かせていただいた。とにかく耳を傾けようとした。中途半端にならないようにと、ほとんどこのまちだけに通った。途中からは関わり方も多様なものになった。多くの出来事を目にし、経験し、時間を過ごした。
その結果、まちの状況や構造への理解が徐々に深まり、いたるところに友人や知人がいるようになった。「感覚」もすこしずつ身についてきたような気がする。今も発展途上ではあるが。
陸前高田のまちは今、ハード事業を終えようとしている。
この間、世の中では「地方消滅」という煽り言葉が叫ばれ、「地域創生」という言葉が作られた。関連して「関係人口」という概念も登場した。いわば自分も関係人口の一人として陸前高田に通い、復興のプロセスを目撃し続け、ときに関与してきたということなのだろう。
遅まきながら2019年になって、ようやく災害復興学会に所属させていただいた。自分が目にし、経験したこの10年が、「復興学」という視座の中で、どのように理解・解釈されるべきなのか。過去、あるいは世界中のさまざまな災害後の復興プロセスとの比較で、どう位置づけられるのか。何が肯定され、何が批判されなければならないのか。災害後、結局何が起きたのか。そして自分は一人の関係人口として、どのように振る舞うべきだったのか。もちろん、これまで何かと考えていたつもりであったが、この学会に関わる人々の言葉と論考に触れる中で、さまざまな感情と思考が自分の中で渦まいている。
今後も陸前高田に通い、現場を体験し続けながら、この「渦」により明確な形を与えていきたい。
