あえて「IF」を問う
矢守克也(京都大学防災研究所)
「歴史にIFはない」。このように言われる。しかし、筆者は、防災・減災、復旧・復興について考える時、「IF」を問うことには一定の意義があるのではないかと思っている。
東日本大震災の発生から10年が経過した今、「もし、東日本大震災が起こっていなかったとしたら」とあえて問うてみよう。3.11以外にも、この10年、私たちは数多くの災害に見舞われてきた。2011年、紀伊半島豪雨。2012年、九州北部豪雨。2013年、伊豆大島土砂災害。2014年、広島市土砂災害、御嶽山噴火災害。2015年、鬼怒川水害。2016年、熊本地震。2017年、九州北部豪雨。2018年、大阪府北部地震、西日本豪雨、北海道胆振東部地震。2019年、令和元年東日本台風災害。2020年、新型コロナ感染症、球磨川水害、などである。このリストは、「東日本大震災が起こっていなかったとしたら」、私たちが今、目にしているであろう「主な災害年表」ということになる。
「その人の偉大さは本人が成し遂げた事績より、もしその人物がいなければと想像してみるとよくわかる」としばしば指摘される。ここで試みている「IF」も同様の視点に立っている。東日本大震災の意味を見定めるためにも、あえて「起こっていなかったとしたら」を問うてみるわけだ。上のリストを眺めながら、東日本大震災がなければ、今、何に注意が向き、逆に私たちは何を知らずにいるか、何を「想定外」にした今があるか。このように想像をめぐらせてみよう。それによって、東日本大震災固有の意味が、言いかえれば、他の災害からは得られない東日本大震災だけが私たちに開示してくれた教訓が選別され可視化される。
こうして見てくると、津波がもたらす桁違いの被害、破局的な原発事故とその深刻な影響、広域かつ長期にわたる避難生活がもたらした過酷な現実、集落や町のあり方を根本から変えてしまうような復旧・復興プロセス(そう簡単には復旧・復興しきれないという現実)-災害について考える時、今日私たちが当然のように念頭に置いているこういった事項こそが東日本大震災固有の項目群だとあらためて確認できる。だからこそ、仮に、10年後の今、これらの項目への注意や関心に微塵なりとも緩みや弛みが見られるのだとしたら、それは厳に戒めるべきことだろう。そうした態度は、東日本大震災を、それこそ「起こっていなかった」ことにするに等しい暴挙なのだから。
