
日本災害復興学会会長
一社)ふくしま連携復興センター代表理事/福島大学客員教授
天野和彦
当事者とはいったい誰を指すのか
昨年12月、突然「次の学会長を引き受けていただけないか」との電話が入りました。当然ながら、私にとっては、まさに「青天の霹靂」でありました。「青天の霹靂」には、良い意味と、それから悪い意味と二通りあるようですが、私が学会長を引き受けることは、果たして良い意味なのか悪い意味なのか、これからの私自身の実践の中で明らかになっていくことだろうと考え、いずれにしても、気持ちを整え、私にやれることを粛々とやっていきたいと思い、学会長の役割をお引き受けした次第です。
私は、市民活動家で、20数名のスタッフが在籍し年間の予算規模が3億を超える中間支援組織「一般社団法人ふくしま連携復興センター」の代表でもありますが、福島大学特任時においては、教職課程の社会教育学と教職大学院の講座もいくつか担当しておりました。福島の教育課題を探究する講座の中で、震災学習あるいは防災教育について、学生たちといろいろと議論を重ねてきたわけですが、特に、半分ぐらいが現職の教員でもある教職大学院生の中から、実は、授業としての震災学習が後ろめたくて仕方がない、怖いという声が聞こえてきました。あるいは、自分が教えていいことなのか、大変におこがましいことなのではないかと。つまり、東日本大震災当時、この福島にいなかった自分が、震災学習の授業として福島の子どもたちに話していいのだろうかという疑問が、その講座をきっかけにして、学生たちから次々と出てきたわけです。
このことは、「当事者とは一体誰を指すのか」という問題を提起していると私は思いました。その場にいたら当事者なのか、いなかったら当事者にはなり得ないのか。その問いに対して、さらに自分自身の考えを深める機会を得ることができたのですが、それは、以前からやりたいと思っていた沖縄の地上戦についての語り部の調査です。戦争は最大の人災だというのは言うまでもありません。その沖縄の語り部の調査では、糸満市の中学生を中心にした語り部の育成事業、ひめゆり平和祈念資料館、NPO法人沖縄平和ネットワークの3箇所を訪問し、それぞれからお話を伺ったのですが、いずれも大変に興味深いものがありました。
特に、糸満市の語り部事業では、中学生が語り部になっているわけです。もちろん、彼らは地上戦の時には生まれてもいません。けれども、沖縄戦のことを一人称で語っているのです。ひめゆり平和記念資料館では、もともとは、ひめゆり学徒隊として直接体験してきたOGの方々が証言員と呼ばれて語り継がれてきたわけですが、現在は沖縄戦を経験していない40代の方がお話をされている。けれども、その方も一人称で語っているわけです。そして、NPO法人沖縄平和ネットワークの事務局長さんも県外出身40代の方で、当然地上戦を経験していないわけですが、この方も一人称で語っている。その3人の方々には、共通項があったわけです。
なぜ一人称で語ることができるのかを尋ねたところ、「学んでいるから」という明確な答えが返ってきました。中学生も大人も、多くの方々のお話を聴くだけではなく、自ら調べ、質問し関係者とやりとりを重ねた結果、自分の言葉でそのことについてどう考えるのか、どう語っていくかを学んでいるということなのだと思います。そして、ひめゆり平和資料館、沖縄平和ネットワーの方々は、それぞれに研究も進めておられました。
一人称で語るということにはどれほどの使命感のようなものがあるのか、そして、当事者なのか当事者ではないのかという問いに対し、沖縄平和ネットワークの事務局長さんは「私は当事者です。」と即答されました。どのような使命感であるいはどのような覚悟で語られているのかという私の次の問いに対しては、「約束しましたから。おばあたちと約束をしたのです。」と。単に沖縄の地上線を語り継いでいかなければならないといった悲壮な思いだけではなく、人と人との関係性の中での決意であり、当事者と言いながらも、柔らかく優しくおばあたち(ひめゆりOG)との約束を日々守っておられるということに気付き、心が震えました。災害のことを私たちが語っていくときに、何かしらの意味、ミッション等覚悟を持ってというようなことをよく言ったりしますが、もう少し肩の力を抜いて隣に立てば、多くの人たちと語れるようなチャンネルが開けるのではないでしょうか。
「被災地に思いを馳せた段階で、もう当事者になる」これが「当事者とは一体誰を指すのか」という問いの答えであると考えます。自分の身に起きたらどうなのか、あるいは自分のふるさとに起きたらどうなのか。まさに想像力です。しかしながら、現状としては残念なこともいくつか聞こえてまいります。被災地における被災者と支援者というその関係性の中では、ついラベリングをしてかかわったり考えたりしがちですが、そこにこそイマジネーションが大事なのだろうと思うわけです。
まもなく、災害から31年目を迎える阪神淡路大震災。2025年の1.17の集いの灯籠の文字は、「よりそう」でした。本学会は、2012年から災害復興学に関わる研究者だけではなしに、災害復興の実践者、行政職の方々、メディア関係の方々など災害復興に関わる人たちが共同して繋いできた組織であり、被災からの再生に取り組む多種多様な方々が手を結んで、被災現場からのメッセージを全国にあるいは次世代に伝えながら、災害復興を通して、新しい社会の価値や人に優しい社会を創り出すことを目指して引き継がれてまいりました。
改めて、青天の霹靂としか言いようのない職を拝命した私ですが、先輩諸氏及び本学会の取り組みの歴史と深い理念に立ち返り、会員各位とともに課題に向き合って、当事者性と想像力を磨きながら、被災された方々にさらに「よりそう活動」を目指し展開して参りたいと思います。
皆さまのご支援をどうぞよろしくお願い申し上げます。
(2025年12月)
以前のごあいさつ
外なるクロスオーバー/内なるクロスオーバー(2021年1月)
