ごあいさつ(2017年4月)

大矢根 淳

日本災害復興学会会長
専修大学人間科学部教授
大矢根淳

被災者・被災地にとっての納得の復興に向けて

 ちょうど元号が昭和から平成にかわる頃、災害研究分野でよく「地学的平穏の時代の終焉」が言われていました。日本の高度経済期はたまたまこの地学的平穏期に当たっていて、バブルただなかのこの都市の姿は、大災害に未経験の仮の繁栄の姿なのではないか…、と警告が発せられていたのでした。そして雲仙・普賢岳噴火災害(1991年)が発生して、阪神・淡路大震災(1995年)…と、次々に大災害が続くこととなります。雲仙・普賢岳噴火災害では、災害因(噴火現象)がおさまらずに、復旧すらままならない被災現場のすぐ横、そこかしこで新たな被災状況が次々に産み出され、それでも復興の構想・事業を展開していかなければならない…。中長期的な被災―復興対応の難しい舵取りが求められました。

 生活がその根底から覆されてしまうような、思いもよらぬ被災経験。そこでは被災当事者はもちろんのこと、様々な人や組織が、それぞれに真摯にこれに対峙するけれども、皆が同時に等しく納得の上での復興を果たし得ない事情が、そこかしこに顕れて来てしまいます。そうした現場で被災者に寄り添い、そこに積極果敢に参与して支援・研究実践に取り組むところから、日本災害復興学会は生まれてきました。学会の創設、それは10年ほど前のことです。その頃はちょうど、阪神・淡路大震災の復興事業に関して、各自治体や民間団体が10年検証をまとめ上げたところで、その前後には全国各地で災害が続発して、戦後右肩上がりの社会を前提に組み上げられてきた「復興」の認識とシステムが厳しく振り返られていたところでした。

 そこで学会では「復興とは何かを考える委員会」を置いて、その理念や概念を根源的に問い直してきました。それぞれの被災地に学会員が赴いて「車座トーク」を開催し、現場の生の声・姿に寄り添う復興支援委員会の活動を重ねてきました。こうした取り組みは、新潟県中越地震(2004年)の復興に際して、現地で創設された中越復興市民会議、そこに置かれた「復興デザイン研究会」と協働したものです。

 さらに、復興の現場に資する法・制度の解釈、運用、さらには新規制定に向けて、復興法制度研究会では日弁連メンバーと協働してきました。こうした各被災地・各領域協働の復興に向けた工夫や知恵を、次の被災地に包括的に適切・迅速に伝えるために、「災害報道研究会」はこのたび発展的に解消して、「被災の教訓を未来に伝える研究会」(通称:「未来研」)として再出発しました。

 阪神復興10年検証から10年を経た今、東日本大震災復興の10年に向けて、日本災害復興学会は今、学会創設10年を迎えようとしています。講義・講座名称や書名として「災害復興学」を冠するものが見い出されて来ていますが、災害復興学は未だ一つの学問体系としてひろく認知されているとは言えないかもしれません。学問の体系化には基礎研究が必須です。あくまで現場に寄り添い、多様な主体とともにそこに真摯に学びながら、そうした位相を包摂する基礎研究を充実させて、災害復興学の体系化を目論みたいと考えています。そしてそうした基礎研究には学史・研究史の充実も欠かせません。先に記した雲仙・普賢岳噴火災害は発災からちょうど四半世紀を経ています。新潟県中越地震は10年を機に、長岡で日本災害情報学会と合同大会を開催しました。北海道南西沖地震(奥尻津波災害:1993年)からは20年を前に、大会・企画委員会と復興支援委員会共催の「奥尻島復興研修会」(2012年7月)を開催しました。そして昨年度は、地元大学や「酒田大火の復興に学ぶ会」と「酒田大火40周年フォーラム」を共催して、復興の研究実践史について当事者とともに現場で振り返りました。全国津々浦々に様々な復興の実践が埋もれているかもしれません。これを機に、学会員皆様に精力的に再評価して広くご紹介いただき、復興知財の共有を図っていきたいと思っております。

 幅広い奥深い教養を兼ね備えて、息長く復興の研究実践に取り組んでいきたいと思います。

(2017年4月)

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