被災地をつなぐ「責任」
中沢峻
(宮城大学 事業構想学群 助教)
「被災地責任」という言葉がある。被災地に寄せられる多くの支援に対して果たすべき道義的な責任であり、「受けた支援を次につなぐ」「何が起き、どのように復旧・復興を遂げ、得られた教訓は何か」といった観点から応えるべきものとされる。しかし、「責任」という日本語は、その言葉の意味・使われ方から、何かに迫られるような感覚をもたらすものである。前職で復興支援団体の職員として活動していた筆者個人にとっては、「被災地責任」の重要性を十分認識しつつも、言葉のみを切り出せば一種の窮屈さがイメージされるものでもある。
他方、「責任」は、英語では「responsibility」であり、これは応答(response)と可能性(ability)に分解することができる。つまり、「他者から呼びかけられた時に応答できる(もしくはそのような状態にしておく)」ことであると解釈できる。「責任」をこのように開かれたものとして捉えた時、「被災地責任」という言葉は、また少し違った見方ができるのではないかと考える。
2019年に発生した台風19号では、宮城県内各地で甚大な被害があったため、筆者が所属する宮城大学では学生ボランティアを募集し、各地で瓦礫や漂流物撤去等のボランティア活動を行った。本学の学生の半数以上は宮城県内の出身であり、沿岸部出身の学生も少なくない。学生らに活動に参加した理由を聞いたところ、複数の学生の回答から共通して想起されたのは「恩送り」というキーワードである。彼ら彼女らは、東日本大震災で被災した際にはまだ幼く、支援を一方的に受ける存在であったことを自覚しており、その経験から、当時は何も行動できなかった後ろめたさや、他者への感謝・貢献の想いを抱いていた。そしてそれらの想いをもとに、間近に発生した災害のボランティア活動に参加したとのことであった。
上記の話を踏まえると、「他者から呼びかけられた時に応答できる」という意味での「被災地責任」を考える上では、内発的な動機づけに基づく支援とその連鎖を支える社会づくりが重要なピースの一つになるのではないかと考えている。