「なまえ」をめぐるダイアログ【2022年度学会大会 分科会2 概要報告】
高原耕平(人と防災未来センター)
2022年10月1日の学会大会で分科会「なまえをめぐるダイアログ」を開催しました。今年度より学会研究会として発足した「上手な思い出し方研究会」(高原耕平(代表)、定池祐季、ゲルスタ・ユリア、奥堀亜紀子、土方正志、古関良行)の活動のひとつとなります。
ものごとの名前の付け方や呼び方には、わたしたちがそのものごとを捉えることの繊細な意識がさまざまに見え隠れしています。災害にかかわる「名前」「呼び方」の現実の事例を手がかりにすることで、わたしたちが災害とどのように生きているのかを探ることができるのではと考えました。
定池さん(東北大学災害科学国際研究所)の話題提供「それぞれの”あのとき”」は、同じ災害でもひとによってそれを「あのとき」と呼んだり地名や通称で呼んだりするという事例をもとに、災害に対する立ち位置や想い起こし方が呼び方に反映することを話しました。
奥堀さん(東北てつがく研究所)の話題提供「”かれ”と”あなた”のあいだ」(高原が代理発表)は、フランスの哲学者ジャンケレヴィッチの「二人称の死」「三人称の死」概念を土台に、石巻市のひとびとの死生の語りを検討しました。「あなたの死」と「かれ(ら)の死」は異なるというだけではない、風景や記憶と混じり合った独特の死者への呼びかけ/想起があるのではないかという話です。
古関さん(河北新報社)の話題提供「「大川小」の名に隠された地域の文化と悲劇」は、石巻市立大川小学校があった釜谷地区の過去に焦点を当て、地区全体の悲劇であったものが「大川小の悲劇」に上書きされてしまっているのではないかと問いかけました。
ゲルスタさん(東北大学災害科学国際研究所)の話題提供「「遺構」と呼びますか?」は、平均的には「遺構」と呼ばれているものの呼び方に改めて焦点を当てます。たとえば「遺構」と名付けることで地域外のひとびとの認知を得る一方で、地域のひとびとにとっては震災以前もいまも地域の名を冠した「小学校」でもある。また、遺構と名付けられ、保存されないものはみなすべて「瓦礫」でしょうか。いずれとも名付けていない、呼び名を与えないもののスペクトルのなかにあるものをわたしたちはどのように掬い取ることができるでしょうか。
これらの話題提供を承けて後半では会場全体でのダイアログをこころみました。 いろいろな視点からのアイデアをいただいたのですが、今回の成果を以下のように集約したいとおもいます。まず、災害にかかわる「なまえ」「呼び方」は、なにより発話者の立ち位置を反映するものであるということ。それは災害に対する静的な関係ではなく、いまその災害に自分はどう関わっているのかという現在進行形のものであり、そしてその呼び声によって状況が変化してゆくという動的な関係のものだということです。
つぎに、多くの会場参加者と共有する場所をつくるためには事例・話題提供だけでなく土台となる何らかの学術理論も必要だということです。今回はたとえば言語行為論であったかもしれません。会場がもっている力を引き出しきるには、しっかりした学術的知見を据えることが大切だと学びました。