アメリカのウエストバージニア州から
大門大朗
(京都大学防災研究所、日本学術振興会、
デラウェア大学災害研究センター)
2月26日に私は災害から50年目を迎えるウエストバージニア州のバッファロークリークを訪れた。そこは、昨年、同僚と一緒に翻訳したカイ・エリクソン『そこにすべてがあった』の洪水災害の舞台となった場所である。マン高校で行われたセレモニーでは、当時の様子を知る人の講話を通して失われた町を思い返し、最後には空に風船を飛ばして亡くなった方に思いを馳せたりした。そこは、災害の教訓とは無縁の場所であり、例えるなら同窓会に似た雰囲気であった。セレモニーに教訓が存在しないことは、洪水の原因を生み出した炭鉱がすでに国の中心的な産業ではなく、地域の産業が衰退していることを暗に示しているようでもあった。
アメリカにおける復興研究の重要な参照点の一つは、集合的トラウマの概念が提出されたこのバッファロークリークである。近年、ハリケーン・カトリーナの後から、ソーシャル・キャピタルといったコンセプトのもとで、復興期に社会格差や移転・帰還をテーマに多くの研究がなされているが、災害研究における復興というテーマは、当然、アメリカの研究においても重要な位置を着実に占めている。あまり知られていないが、近年用いられる意味でのソーシャル・キャピタルの概念が提出されたのもバッファロークリークのあるウエストバージニア州であったことは奇妙な偶然である。米国の復興研究における一つの流れは、強い紐帯を持っていたバッファロークリークの住民のように、その地の人々がすでに持っていた災害から回復する力に着目しようとしていることである。
だが、その一方で、アメリカの復興研究は、災害という文脈から抜け出ようとしているようにも見える。コロラド大学のキャサリン・ティアニーは、災害からのレジリエンスや元あった地域のソーシャル・キャピタルを過度に称賛し、美化することを批判している。それは、社会的に脆弱な人々に対する社会保障を新自由主義政策のもとで後退させ、かえって災害だけでない地域社会のレジリエンスや回復のための支援ネットワークを毀損するからである。事実、バッファロークリークを含むウエストバージニア州は、歴史的に貧困率が高く、薬物依存や教育の問題など日常の慢性的な「災害」に苦しんでいる地域である。すでに貧しい人々が、そもそもなぜ貧しいのかを問わずに、災害や危機の支援をしていることは本末転倒である。復興研究はこの意味で脱災害と運動論を志向し始めている。