Withコロナ時代のつながりを考える
天野和彦
(福島大学うつくしまふくしま未来支援センター 特任教授)
新型コロナウィルス感染症の対策の中で、これまでと異なる行動規範が求められてきた。いわゆる、social distancingという言葉の下に求められている一連の行動抑制だ。新型コロナウィルス感染症が爆発的に流行していく中で、できるだけ人との距離を置くということが社会全体として目指されてきた。しかし、これまで私は人と人との繋がりこそが人の命を守るのであり、その視点として「交流の場の提供と自治活動の促進」が重要であると提起してきた。そうした矛盾から当時の私は、まるで手足をもがれてしまったような、いわゆる繋がれないことでの閉塞感がフラストレーションとなっていた。
これまでとは異なる行動規範がいまも求められている中で、この閉塞感をどう突き抜けていくのか。そもそも繋がるというのはどういう意味なのか、人はなぜ繋がらなければならないのか。繋がるということで人は何を得ようとしているのか。そうしたことを一つの研究テーマとして追求してきた。
これまで「Face to Face」つまり、顔と顔を合わせてのコミュニケーションが大事なんだと、私自身も経験則的に思ってきた。しかし、「Face to Face」というのはあくまでもコミュニケーションの手段であって、「Face to Face」 という言葉では、繋がるということの意味や、言葉の深みを説明できてはいないのではないか、と考えた。実はそうしたことを考えるに至ったある出来事があった。
私の勤める福島大学の学生寮での食糧危機の問題である。これが学内だけでなく新聞にも報じられた。私もすぐさま、自身のSNSアカウントで学生たちの窮状を呼びかけた。その想いに応えるように、次々と窮状を救おうとする想いが食品とともに寄せられてきた。まさに窮状を呼びかける想いに対して、窮状を救おうとする想いが繋がっていった。繋がりの本質的な意味というのは、そうした想いに呼応する関係性のことではないか。つまり単なるコミュニケーションという意思疎通の枠を越えたところに立ち上がる「想いに呼応する関係性」こそが、まさに繋がるということの本質的意味やその深まりを体現しているのではないか。
また、緊急事態宣言以降、なぜ私たちが物理的距離を保ち、外出の自粛をしてきたのか。それは自分と他者との関係性を無意識に認識しているからではないか。自分自身を慈しみ自分の命を大切にするように、周囲の人、あるいは暮らし、さらには社会を守りたいという根源的な願いがあったからこそ社会的距離を保つということを受け入れてきたのではないか。それは決して分断ではなく、むしろ連帯と呼ぶべきではないか。であるならば、関係性が想いで深まっていくということを示す表現として何があるのか?私はその一つが「 Side by Side 」という考え方、想いであると考える。
「 Side by Side 」。「あなたのそばにいるよ」という想い。災害支援にも同じ視点が求められている。