「やっかいな問題」への対応としての復興
菅野拓(大阪市立大学大学院文学研究科 准教授)
「やっかいな問題(wicked problems)」という言葉をご存知だろうか。リッテルとウェッバーが作り出した言葉で、明確に定式化できない、解決策をすぐにテストできない、取り得る解決策を計画に組み込むことが困難といったような、複雑な問題のことだ。例えば地球環境問題、貧困、いじめなど、現代社会では解決が難しいやっかいな問題が様々に目につく。やっかいな問題は、ある単独の組織や単独の学問分野などで単純には解決できない。単純な問題の多くは、政府や企業、あるいは科学によって解決されてきたため、やっかいな問題が相対的に目につきやすくなっているのかもしれない。さらには、単純な問題を解決してきた仕組みが「縦割り」的に乱立することから、やっかいな問題が現れたり、より複雑化したりしている側面もあるだろう。
現代の大規模災害は、まさに、やっかいな問題の典型だろう。東日本大震災を例に取れば、予測もつかない形で被害が広がった原子力事故や、様々な制度に拘束されながら必ずしもうまく対応できずに災害関連死を引き起こしてしまうような被災者の状況は、地震や津波という自然現象のみが引き起こした事態ではない。そうではなく、日本社会が近代化していく中で、一度立てた計画へ依存しすぎることや、制度が硬直化して杓子定規に用いられることなど、日本社会が予測できない事態に対処する柔軟性を欠いたことによって厳しさを増幅させたもの、つまり、現代社会に生じたやっかいな問題の典型的なものであろう。
こう考えると「復興」は災害というやっかいな問題への社会の対応であるということになる。そうなると、ある単独の組織や単独の学問分野などで解決しきれないことは自明だ。政府が復興を推進する省庁をつくると万事うまくいく、復興の専門学問分野があると万事うまくいく、といった、シンプルな解決策があるように装う言辞は疑ってかかるべきだろう。現実には、様々な人・組織・分野間で一緒になって問題をどう捉えるかを対話し、解決に向けたコラボレーションを試行し続けることが必要なのだ。様々な人・分野・組織間で共通して使える概念を作り出し、対話の場を紡ぎ出し続けることこそ、やっかいな問題への社会の対応である復興にかかわる学問の役割だろう。