復興による被災空間再編と記憶/物語の関係を探る【2021年度学会大会 分科会6 概要報告】
高原耕平(人と防災未来センター)
「残る唯一の方法は人間がもう少し過去の記録を忘れないように努力するより外はないであろう」(寺田寅彦)と、「上手に思ひ出すことは非常に難しい」(小林秀雄)という2つの文を手がかりに、〈問いを分かち持つ〉ことを目標に場をつくりました。
わたしたちはそれぞれいろいろなものの見方や考えを持っています。職業や立場や体験や年代によって、それらは大きく違うのがふつうです。ところが「被災地」や「復興」の時空間においては、それぞれの違いが結論の食い違いとなり、つなぎなおすことが困難な断裂につながってゆくという現実があるようにおもいます。結論や答えを全て一致させるのはむずかしい。ただ、「問い」は分かち持つことができるのではないか。もしかしたら、わたしたちは本当に共有すべき問いをまだ十分に持っておらず、吟味しておらず、答えや結論ばかり急いできたのではないか。
こうした考えを元にして、とくに「記憶/物語」を軸に、分かち持つことのできる問いを探すことにしました。というのも、「10年」という時間の沈殿や撹乱は、この記憶や物語というテーマに際して独特の難しさやしんどさを滲ませてくるように思うからです。最近のことと言うには遠く、いまはむかしのことと言うには近すぎて、乾いてかすかになっているかのようでもあるのに、いよいよひりひりじくじくとしてくる。「過去の記録を忘れないように努力する」ことが求められる一方で「上手に思ひ出す」仕方がわからない。
分科会前半では各地の事例紹介を語っていただきました。ゲルスタ・ユリアさんからは、被災地の様々な空間や事物が持つ「意味」や、瓦礫と遺構のどちらにも切り分けられないような事物の存在について。定池祐季さんからは、奥尻島の「復旧遺構」「復興遺構」と呼べる事例や、植生や自然の側面について。高原からは、神戸の「開発」の歴史に震災と記憶が組み入れられてゆくことについて。奥堀亜紀子さん・小野寺豊さんからは、石巻の震災以前からの記録と記憶を途切れさせないようにする努力について。いずれにも共通していたのは、「空間」との関わりにおいて記憶/物語を考えようとすることでした。というのも、東日本大震災の「復興」では何より空間再編があまりに激しいと考えられるからです。
後半の分科会では、およそ1時間をかけて、その場の全員で分かち持てる問いを探してゆきました。
- 「記憶や想起それ自体に苦痛がある」「そうした記憶を予期して聞くことを躊躇してしまう」「でも、苦痛が無いのが〈上手に思い出す〉ことなのか?」
- 「そのときどきに思い出す瞬間的な体験としてではなく、長い時間のなかで変わってゆく体験としてかんがえる」
- 「だれかのために思い出す、だれかのことを意識するから語れない、という性質がある」「そもそも誰のため、何のために思い出して、語ろうとするのだろうか」
- 「思い出したいものが先にあって想い出すのか、思い出すということが先にあって、その内容があとから現れてくるのか」
- 「そもそも思い出し方が下手でもいいんじゃないか」
- 「〈上手に思い出す〉ことがさまざまな側面を持つこと自体は共有できるだろうか?
というように、「思い出す」ことをめぐって、ときに震災の具体的な地名や、それぞれの記憶を響かせつつ、参加者それぞれのことばによって問いをさまざまな角度から吟味してゆきました。
分かち持つことのできる問いを完全に仕上げるまでにはたどりつきませんでしたが、限られた時間のなかで、参加者それぞれが生きてきた体験や波長を少しずつ共振させてゆくことができたのでは、と考えています。復興学会の分科会だからこそできたこころみでした。ありがとうございました。