震災復興の検証
福留邦洋(岩手大学地域防災研究センター)
先日、ある報道機関からなぜ東日本大震災では復興に関する検証が少ないのか問い合わせがあった。試しに所属先の大学図書館蔵書検索システム(OPAC)で「東日本大震災」と「検証」の二語検索を行ったところ、全部で47件。このうち2012年末までの刊行物が17件(36.2%)、2014年末まで含めると28件(59.6%)である。一方、2017年以降は7件(14.9%)にすぎない。同様に県立図書館では29件。2012年末までが10件(34.5%)、2014年末までは23件(79.3%)、2017年以降は4件(13.7%)だった。
二つの図書館を検索した限り、東日本大震災に関する検証は震災発生から5年間で8割以上が行われていることになる。発生から3年間の検証に関する書籍、報告書は、発生のメカニズムや被害の分析などが多く、なぜ多くの犠牲者が出たのか避難誘導や行動の是非を問うものが目に止まる。
東日本大震災で甚大な犠牲となったことが反省と教訓の大きな柱であることは言うまでもない。10年経過した現在でもあらためて避難のありかたを再検証すべきといった声、新しくなったまちが同じような犠牲を繰り返さない防災まちづくりとして実現されたか確認する必要への指摘を耳にする。しかし、語弊があるかもしれないが、命さえ救われればその他のことは気にせずに暮らせるものなのだろうか。
発災5年目の頃、岩手県や宮城県の被災地では、低地の嵩上げや集団移転先の宅地造成など本格的な復興への基礎的事業が本格化した時期であり、復興の形がみえたわけではなかった。また、現地では復興のことを賛否両面から議論する雰囲気にはなかった記憶がある。今もその空気は残っているような気がするものの、発生から5年以降のあゆみに学ぶこと、考えることがなかったとは思えない。
阪神・淡路大震災や新潟県中越地震など過去の災害とは、被災地の特性、発生した時代・社会情勢の違いなどがあり、単純に比較することは難しいと思われる。広域巨大災害ゆえ一概に述べられないという側面もあろう。しかし、次の広域巨大災害、さらに進む地方の少子高齢化社会等を見据えた知見を明らかにしようとする姿勢は求められ、今回の岩手大会がその一つの機会となることを意識したい。
5年前の学会大会で広原盛明先生の「復興学会はもっと復興を正面から取り上げるべき」との発言が思い返される。