東日本大震災からの10年という時間を考える
坂口奈央(日本学術振興会特別研究員PD
/国立民族学博物館)
2011年3月11日午後2時46分。あの日・あの時から流れた月日は、3650日、時間にすると87,600時間になる。こうした数字は、被災当事者の方々にとっては、おそらくまったく無意味なものだ。彼らにとっては、「ようやく」「やっと」「たった」10年が経った、という言葉の方が当てはまるだろう。昨年、津波で自宅を失い、ようやく再建できた70歳の方が、「この10年で出会った人の数は、これまでの人生60年の中で出会った人の数よりも、何倍にもなる。そして、出会った人達との関係は、たとえ離れていても、お互いが思いを寄せあうことに変わりはない」と語っていた。昨年頃から被災当事者の方々は、震災を契機とした出来事などに対して、客観的に振り返っている。なかでも、「震災のおかげで」という言葉が語られるようになっていて、あの日・あの時から時間は、間違いなく進んでいることを実感させられる。
こうした災害からの非常時―復興―日常という時間の流れをどのように捉えることができるだろう。復興工事と呼ばれた防潮堤建設や災害遺構の保存/解体を巡り、多様なステークホルダーが被災地の暮らしに「介入」してきた。そして、合意の期限を定め、議論が交わされた。こうした時間は、ただただ一方的に推し進められていく。その一方で、被災地では、物事の決め方など、被災前のあり方への「揺り戻し」が起きてきた。そして、「かつての日常」を想起させるモノを慈しむ人びとの姿がある。被災当事者の方々にとってのこの10年は、行ったり来たりを繰り返す、円を描くような時間だったのではないだろうか。
一方で、10年は、人が10歳年を重ねることになる。当然、10歳未満の子どもたちは、震災を知らない。震災時60歳だった方は、70歳、70歳だった方は80歳になる。復興過程の中で、地域社会の作り直しに尽力してきた当時60代70代の方々が、病を患い、なかには死去されたという訃報を聞くようにもなった。生かされた時間をどのように過ごすのか、改めて考えさせられる、2021年の3月11日である。